無理させてはいけない時

いろんな人に書いているので、読んだ人もいると思います。

でも、忘れたくないから、ここにも書きます。

 

<自閉症の場合は登校への葛藤が少ないので、登校刺激をしないのは間違った対応だ>

というようなことを自閉症支援では有名なS先生がいろいろなところで書かれています。

これを<自閉症には登校刺激を!>と読み間違えないでいただきたいと思っています。

 

実際、マロンは登校刺激をせず、ホームスクールがよい結果を生み出している実例です。

 

もうひとつの例。

同じクラスで2学年上のT君は修学旅行に行きたいということで

無理して学校に行きました。

親が無理やり行かせたのかもしれません。

 

素因はあったのでしょうが、その子はてんかん発作を初めて起こし、

抗てんかん薬を使いましたが、また倒れました。

修学旅行には行けましたし、その後も登校して卒業しました。

 

でも、次第にT君は変わっていき、出かけた先で些細なトラブルを起こしてくるようになりました。

意のままにならないと、手元にあったチケットを自分で破いて、

「お母さんのせいでいけなくなった!」とわめき、暴れることもあったようです。

そして、今年、中3の修学旅行はてんかん発作を起こしていけなくなりました。

 

たった3ヶ月~1年で、T君の未来はすっかり変わりました。

 

自分にあう高等養護学校に入った子達は

家に帰りたくないとか、熱が下がりきらなくても学校に行きたがるとか聞いています。

T君が受験や高等養護の入学をきっかけに、もう一度自分を取り戻してほしいなと思います。

 

本人が学校に行きたい気持ちがある一方、

外部的、環境要因に改善しなくてはならない問題点があり、

それが改善されない場合は

たとえ自閉症であっても、専門家が何を言おうとも

わが子を守り通す必要があると思います。

決して、同じ学校には行かせず、

本人の回復を待って新しい環境を探しましょう。

 

自閉症は新しい環境に弱いので・・・ですって!?

本人に会う環境ならば、彼らは喜んでいくでしょう。

マロンがそうでした。

学校に行きたがらなかった、何名かの子達は

入学してそう経たない学校に嬉々として通っています。

 

くぐってきてみて、こういう場合、最後まで話を聞いたり

相談にのったり、解決策を提示してくれる専門家や専門機関は

ほとんどありません。

それ以上どうにもならないと思えば、手を引きます。

所詮、他人事に過ぎません。

 

でも、親はそうはいきません。

自分の身と引き換えてでも不可能を可能に、

天地を逆さにしてでもわが子を生かそうとするものです

 

親は子どもの砦です。

親であることの自覚と誇りと気概とが試されます。

2 Responses to “無理させてはいけない時”

  1. rihumi より:

    マコロンさん、こんにちは。
    無理させてはいけない時というのはあるのかもしれないですね。
    私自身は、顔が変わった時はかなり危険かなと思っています。
    自分自身も顔が変わった、目が死んでるといわれた時期(中学時)は
    記憶という意味も含めて既に訳分からなかったです。
    意識も感情も感覚も麻痺するんですね・・・たぶん
    発達障害に関して、専門家が述べている事、よく書かれている事は
    極端で危険だなと思う事もあります。
    何を言っても、何を書いても聞き手、読み手の解釈の問題に
    委ねられるから難しさはあるのかもしれないけれど
    どちらか一方じゃなくて、やはり微調整なのだと思います。
    こうだから、こういうほうがいいという言葉にならないもの・・・
    どの子にも言える事は無くて
    どの子にも同じ事が言えるわけじゃなくて
    同じ子でも どの時期でもでは 言える事は無くて
    「乗り越えさせよう」も「無理をさせない」も
    その言葉だけ抽出してしまえば 
    どちらかにだけ目を向けてしまえば どちらも危険ですよね・・・
    上手く文章がまとまらないのですが(滝汗)
    ここ最近で親として尊い姿だなと感じたのは
    フクロウが子供に餌を数日与えず<巣立ちを促す為に
    それでも、近くの木から心配そうに巣のある木をずっと見つめていた姿でした(滝汗)
    話がズレズレになってしまいました(滝汗)

  2. マコロン より:

    よ~~やく、家の大改修が終わりました。
    おはようございます、rihumiさん。
    人って、都合のよさそうなことを、都合のいいように解釈しがちだと思います。
    ADHDの娘さんをお持ちの横山ドクターの書かれた書籍(発達障害系)には、ここのみ見て解釈しないでほしいというようなことが、何箇所かに書かれていました。(笑)
    ある基準や目安はいるとしても、かかわりっていうのは一人ひとり、特注のものだと思うので、マニュアルっぽい書き方をされたり、こういうときにはこれというようなハウツーのような言い方をされたりすると、ちょっと…と思うことが多いです。
    (科学的検証を踏まえたものは別ですが)
    ふくろうの話を書かれていましたが、
    ある時期になったら、手を離し、目を離さないのが必要だと思います。
    その前には、十分に目と手をかけてやる時期がいるとも思っています。
    とは口で言えるのだけれど、実際にやってみると、これがなかなかにむずかしいのですよねぇ(^^;)

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