もう一度、トライ(2)
どうして、生み出すのか・・・
ほとんどないに等しいのです。
マロンたちへのサポートが。
たとえば 手先の不器用さに関して、書字の質問がされますね。
回答はたいてい、こうです。
「回答枠を大きくしましょう。
プリントを拡大コピーしてあげましょう。
キーボード入力での書字を認めましょう。」
ひどい言い方でごめんなさい。
私には何の意味もない回答です。
私の求めているのは<代替>ではなく<成長>に向かう方法です。
探して、探して、
微細運動のトレーニングとしての「フィンガーカラーリング」を2年前に見つけました。
山形大学准教授の横山浩之先生の手法です。
こうした、発達を促していくやり方のものを
言語理解、ゲシュタルト認知(知覚的体制化)の部分でないだろうかと思ってきたのです。
今でも毎日読み聞かせは続けています。
イメージの乏しいわが子でも、
言葉からその情景を想像できるように読み、
彼の持つ言葉がその広がりを増すように祈りながら続けています。
知覚的体制化については手が出ません。
自閉症の核の一つとでも言うべき認知の特徴でもあると思いますが
部分への過剰な集中のほかに
全体像がおぼろげにでも入ってくるような状態にしてあげたいなと思います。
注意スパンの短さで、話が見えないとか
形を細分化しすぎてとらえることで、画数がやたらめったら多くなるということが
薄れれば、本人も少しだけ楽になれるでしょうから。
こういう私にとっては、参考文献となりうる書籍はあまりにも少ないのです。
理解一辺倒で、成長のサポートを怠れば、この子達は伸びてはいかない。
<理解して!>のスタンスではなく
<こうしたら、楽に、楽しく伸びていける>という本を、誰か出してください・・・。
マコロンさん、こんばんは。
できなくてもいいって・・意外と救いになら無い事もあるような気がします。
それに、できないままの自分で、その子供は本当にそれで(できなくてもいいといわれる事で)それで本当にいいのかという問題もあるなぁと
思います。
自分を誇らしく思う気持ちは、そうしたらどこから生まれるのかなと
自己満足だとしても、自己満足って結構大切だと思う事もあります。
でも、確かに世間では理解理解理解と
理解と言いながら実は逃げの感じが多い気がします。
rihumiさん、おはようございます~。
成長していく内なる力って、
こどもなら基本的に持っていると思うのです。
障害を持っていると、どうしても<かわいそう>が先にたってしまって
特に母親は<過保護>になりがちですね。
子どもに楽させて、周囲に(もちろん、他人を含む)苦労させても、
子どもを王様でいさせたい。
それができない周囲には、遠慮なく的外れな批判や非難を繰り返す。
人権とかノーマライゼーションとかいって…。
子どもを成長させたいという親が実のところは
少ないのだという気がします。
rihumiさんの言われるように、逃げているのかもしれませんね。
理解は、特に傷ついた親子を助ける最初のステップには
確実に必要だと思っています。
でも、その次のステップは、親子を育てることだと思います。
今の専門家にはそのステップの準備がほとんどできていないと思っています。
理解に落ちついて、安穏としていていいの?って私などは思ってしまいます。
傍から見ればまるで鬼のような母ですね。
<逃げの感じ>
それは親だけでなく、専門家にも言えるのかもしれませんね~。