遊んだ、遊んだ

日曜日、午後1時から午後6時までマロンと遊んで、くたくたです。

月曜日はマリンの高校で進路説明会もあったので、

昨日、一日は図書ボランティアにも行かずにグロッキーしてました。

(・・・情けない (TT) )

 

今朝になって、ふと

“たいした休憩もなしに、これまで6時間もマロンと遊んだのって、あったっけ…”

 

どこかに出かけもせず、スポーツに興じたのでもなく

家でず~っと二人きりで6時間ちかく遊ぶ。

やっぱり、ないかも。

 

そのほかを考えてみても・・・

だいたい、幼稚園でさえそんなに長く遊べはしない(笑)

 

モノポリーにトランプ、手裏剣遊びとミニバトミントン。

こんな風にすごせるのは、これが最後なのかななんて

“お年頃”に入ってきているマロンを見ながらそう思います。

 

2 Responses to “遊んだ、遊んだ”

  1. rihumi より:

    マコロンさん、こんにちは。
    だんだん子供の内的成長と共に
    子供も同学年、年齢が近い人の中で様々なものを求めるようになりますよね。
    その集団の中で出来る事、認められるような感じの事が重要になってくるのかなぁとか思う事があります。
    どう頑張っても、親や離れた世代が変わって果たす事が出来ない部分というか・・・・
    また、親だけで大丈夫になっても別の意味で問題だとも思ったりもします(滝汗)
    時に親子の世界で変に出来上がってしまうことで
    なお更、子供(成人していたとしても)は狭い世界にしか生きなくなるような気がするし得られる物、学ぶものも極端に少なくなる気もします。
    ・・・・・・・主人に私は子離れが出来ない所があると言われるので
    子供を潰さないように気をつけなければと時々自戒しないとと
    自分に言い聞かせる事があります。
    子供も成長の段階で、色々な思いや、ちょっと勇気がいることや
    耐える事もあると思うけれど
    親も子供の成長と共に、成長しなければならない部分が沢山あるのだなと本当に思います。

  2. マコロン より:

    rihumiさん、こんにちは。
    自閉症や知的障害のある子の場合、こうした部分の加減って
    難しいですね~。
    私もrihumiさんが書いてくださったのと全く同じ意見を持っています。
    同学年で母子べったりの親子がいるのですが
    おかしい(というか、気持ちが悪い)と感じます。
    でも、よそから見たら、うちの場合もそうなのかも。
    自信、ないです。
    幼少の頃から、ずっと先を見ながら、
    育てつつ、じゅんぐりに手を離していくことを考えては来たし
    やってきたとは思うのですが、
    最後の押し出しの時がもう来きているのを感じているせいか、
    昔が懐かしいと思います。
    親としての、これも勉強というのか
    経験なんですよねぇ。
    自分のいろいろなものを削いで、育て上げてきた子を
    「ほら、みんな、見て!」
    って、社会や集団に出してあげられたら
    最高かなって思います。
    子離れは難しいです(涙)
    それに、なんていったって、自閉症の子たち、ほとんどが無茶苦茶かわいいし。

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