あのときからの護り
あぁ・・・とわかったのは3月に入ってから。
<tokiwa中>の校歌は<soranumadake>という言葉で始まります。
それをみて、自分の中でひとつにつながった一連のこと
それが今まで書いてきたことです。
そして、思い出したのがもうひとつ。
私は実は不妊症で、
それも治療効果の非常に薄いと言われるタイプのものでした。
程度としてもまったく軽くはなく、
ドクターからは<最初から極大量>を使うが効果がなければ手術と言われました。
(手術はあくまでも不妊の要因のひとつを取り去るに過ぎず、効果は薄いのです。
ホルモンの異常と体温が低いのとで、卵が体内で成熟できなかったので。
また、中年期はホルモンバランスの崩れのために非常につらい時期を過ごすことになることも聞いていました。)
2クールやってもまったく効果なし。
その間、気晴らしに知人のナースやドクターに連れられて
支笏湖近くのオコタンペ湖と小山に行ってきましたが、これもだめ。
(もともとはおそらく非常に強いストレスが引き金だったと思われたので)
主治医からは投薬はもう使えないということで治療方針を変えるということになり、
やっぱり気晴らしに、以前に教えてもらった<soranumadake>に行きました。
営林署のおじさんたちから「泊まるのか~」と笑われるほどの大きなリュックを背負い
山頂について、持ってきたセーターなどなどを全て着こんで一時間あまり山を相手に愚痴ってました。
11月3日の山が閉じる日だったので、とっても寒くて、山頂にいる人は誰もいませんでした(笑)
(北海道の1000m級の山は本州の2000m級に匹敵すると言います)
その数日後、受診するとむちゃくちゃよい卵ができていることが判明。
それがマリンです。
なので、私にとってマリンは<soranumadake>が授けてくれた子。
あぁ、あのときからこの山はずっと私を護ってくれてたんだと
校歌の歌いだしを見て思ったのでした。
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