見えかけてきたこと

発達障害は脳の障害。

だから、脳の専門家の意見や考えが必要ですよね。

そう、思いませんか?

でも、この世界には脳や脳神経の専門家の意見はほとんど届いてきません。

とても不思議です。

なぜでしょう。

 

フィンガーカラーリングからルリアを知りました。

そしてたまたま、偶然手に取りたくなって借りた本・・・

「脳は奇跡を起こす」

で知ったのがファスト・フォワード。

そしてアウロスミス・スクール。

そこからまたもや、ルリア。

 

もう一度、脳を少しずつ見ようと努力しているところです。

自閉症が海馬の回旋遅滞とする脳科学者のいることもわかりました。

脳の働きに注目する学習や速読法の情報も買いました。

そうすると、ビジョントレーニングとの類似点がありました。

ビジョントレーニングがいい加減なものではなさそうだとわかってきたし、

脳を変えるかもしれないことも納得できてきました。

ここは概ね、発達障害の世界の外側です。

いわゆる<現在の発達障害界>にどっぷりつかっていてはとても見えにくい世界です。

 

指が十分に働くにはもちろん神経も大事ですが

その前の体の構造・・・

足を鍛え、腹と背中を鍛え、肩と腕を鍛え、手首を鍛えること・・・

それは何年も前にわかっていました。

でも、具体的なことはOTや発達障害系の世界からは何も学べませんでした。

 

今なら、少しわかります。

マロンにとっての最後の砦の片方は前腕伸筋群をしっかりさせてあげることが

大事なのだとわかりました。

長拇指屈筋にある程度の狙いを定めています。

もう片方は検索中です。長い長い、長い検索を繰り返しています。

 

マロンの苦しみを和らげたいと、素人考えでアレコレとやってきても

もちろん脳のこと、体のことはわからないことだらけです。

でも、わからないからといってほうっておくとか鵜呑みするのは昔から趣味じゃない。

原因がわからなくても、人のケアはどこまでも可能というのが私のスタンス。

 

そして思うのです。

医学や心理学でわからないことがまだまだたくさんあっても、

ほんの少しであってもわかったことを打ち捨てておいて、

「がんばれ」とか「力を入れて」とか「努力が足りない」

というのは本当になんてひどいことだと、今まで以上に思うようになりました。

 

強く書くための筋肉や電気的興奮がまだとても弱いのに、

ものを意識的に見るための<追視>ができないのに、

自分の心を守る機能がとてもかすかでしかないのに・・・

この子達はなんて理不尽でつらいことを課されてきたのだろうか~と。

 

意識するとか、力を入れて書くことは、もちろん無駄じゃないと思います。

でも、そうした努力だけでは、相手の望むレベルにほど遠い場合

やっぱり、評価されなかったり、報われなかったりすることのほうが

ずっと多いのだろうと思います。

・・・一本のたこ糸で鯨を吊り上げろ。

できないのは根性がないからだ。・・・

そんなことを強いられているのですよね、この子達は。

 

そうしたことよりは、

意識させることとに加えて、それ以上のもともとの発達や能力を押し上げること・・・

各筋肉を鍛えていくとか、ボディマップを創りあげるとか、(オプトメトリックスが関係します)

自分の努力の具合が報われているとか実を結んでいることを

その子にわかる場面を作るとか

そんなことがとても大切なのじゃないかなと思います。

 

マロンたちの大変さを、少しでも和らげて、ちょっとでも楽にいきられるようになるために

まだまだ知らないといけないことってあるのだけれど、

それにしても私は、これまで本当に知らなかったんだなぁという気がしています。

私が今最も見えてきていることは、

自分がどれだけマロンたちの置かれた状況をわかってなかったか

ということなのかもしれません。

2 Responses to “見えかけてきたこと”

  1. rihumi より:

    ちょっとコメントが的外れな、それた話かもしれないのですが
    私的に、よく思うのは医学的根拠に基づいた何かが知りたいと
    クリニックに通っている時にも思っていました。
    けれど・・・まだまだ、分かっていない部分が多い分野?なので
    この機能がこうなっているからどうだという話はほとんど聞けませんでした。
    マコロンさんも書かれているように
    どうして、脳なのに、脳、脳神経の専門家からみた発達障害に
    関する意見が見かけることがないのだろうとも思うし
    あまりに、これまで見かけないために
    もしかしたら脳、脳神経専門のお医者さんや研究をされている方は
    興味を持たれない分野なのかなと ずっと思ってきました。
    ・・・・・私の場合、それを知って何かに役立てたい<自分や子供の生活の中で>というよりは、興味でしかないのですが(滝汗)
    なので、ある意味、親の会や、様々な会主催の講演会や学習会のような物も、実は、ちょっと自分が知りたい事とは違っている場合がほとんどだったりします。
    情報というより情緒的で、正直に言えば、言っている事は世間の感覚ともずれているし、現実社会と違いすぎていて
    何の役に立つのだろうとすら思ってしまう事があります。
    大変さをやわらげる という点では
    私自身、具体的に、気持ち的にも
    実際は他の人との違いが それ程あると分からない部分も多いので
    自分に関しても我が子に関しても特別大変だとは思っていない所もあり
    分からない部分もあるのですが
    >意識するとか、力を入れて書くことは、もちろん無駄じゃないと思います。
    >でも、そうした努力だけでは、相手の望むレベルにほど遠い場合
    この事に関しては思う事があります。
    意識する事は重要なのですが<そうでないと社会的に生きる事が難しい
    かと言って、じゃぁ人前で、外で意識し続けるように力を入れていたら
    良いのかといえば、そうしていても相手の望むレベルには達していない
    又は、全く的外れだったり、全然違う事を分からずやっていたり・・
    意識するだけでは乗り切れない部分が多々あるのは確かだと
    思います。
    その先の事 というか・・・
    意識してやっている事自体が 浅いので<浅いマニュアル的な知識で
    しのいでいる感じ> 
    それだけでは乗り切れないのは確かだなぁと思います。
    ただ・・・当事者でも、非常に辛く感じる人<生きづらさとか>、
    劣等感を強く持つ人、障害がある事で不幸に感じる人と
    そうでない人の差は、能力差や報われる度の違いではないような
    気がする時もあります。

  2. マコロン より:

    rihumiさん、こんにちは。
    劣等感とか幸福感は、健常、障害問わず
    その人の価値観や本来持ってきた性格的な部分の反映が
    少なからずあるだろうと思います。
    と同時に、後天的な要因・・・
    育てられ方とか周囲の人がどのような人たちなのかとか
    そういうことにも大きく影響されるだろうと思います。
    マロンはこの数ヶ月でずいぶん周囲が見えてきて
    <集団の中での自分>を考えるようになりました。
    たくさんある中から挙げてみると
    たとえば、サッカーが上手くなりたいから
    もっと走れるようになりたい
    という気持ちがマロンにはありました。
    でも、今は自分が上手ではないので、
    チームに迷惑をかけているのではないだろうか
    と変わってきています。
    学校やサッカーチームにいる間は
    常に、集団を意識しているといっても過言ではありません。
    当たり前のことだと思われるかもしれませんが
    意識する方向が、これまでとは違います。
    今までは自分中心の集団意識だったのが
    今は集団中心にした視点からの自分です。
    マロンは体の使い方がとても下手で、
    バランス感覚や筋肉の使い方に目だった弱さがあります。
    ちょっとしたことでも大怪我につながるかもしれないし、
    体の使い方が上手くなれば、サッカーやマロンの好きなスポーツが
    もっと上手くなって楽しめるだろう。
    そんな思いで<オプトメトリックス>をはじめました。
    これは目の動きと脳内ビジョンを改善するので
    作業学習の向上と怪我の防止にもなります。
    今のところ、思った以上の手ごたえがあって、
    本人もビックリしているところです。
    そんな風に、それぞれの可能性を伸ばしてあげたり
    少し楽になれるサポートを見つけようという気持ちの質の部分では
    多くの障害児のお母さんたちと大きい隔たりを感じます。
    発達障害系の世界に浸かっている、
    おそらくほとんどの人とかみ合わないのじゃないかと思います。
    学校に行けない体験が、
    TEACCHでもABAでもRDIでもキレーションでもない、
    本当にマロンの力になるものを探すきっかけでした。
    いろいろなことができ始めてきて、
    自信がついたことや自己肯定感がとても強まったのか
    ずいぶんたくましくなったし、楽観的にもなってきたし、
    自分で多少の問題を解決しようという姿勢が生まれてきました。
    私の考え方が正しいとか、誰にでも合うとかではなく、
    マロンにとってよかったかどうか。
    ただ、それだけが自己評価の基準です。
    その中から見えてきたものというのが
    発達障害の世界とは
    重なるはずなのにほとんど重なっていない
    別の景色だったことに驚いています。

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