見えてきたこと
この数ヶ月かけて、もう一度<脳>に関することを探してきました。
それは図らずも、私の中の、いわゆる発達検査についての疑念のようなものをはっきりさせました。
まだまだ勉強不足です。
そのなかで見えてきたことの一つ。
私の中の疑念は・・・発達検査はその子の個性を現すかというとそうではない。
ただ、言葉や認識が人格に与える影響を考えれば、
人格の一部として認められる中のさらに一部を表している。
しかし、その子の性格的特性、環境の中で獲得してきた自制力とかコントロール力、推進力、
公徳心、奉仕性、価値観、世界観などなどをみるものではないので
その子の人間性の向上という観点で実際に育て、かかわるには
<その子>を肌で知るか、多量に蓄積されたすぐれた経験を素にその子をわかる必要が
あるのだと思います。
これがかかわりの一つで、私がとても大切にしてきた部分。
だから、発達検査などに物足りなさや疑念を感じてきたのですね。
そして、なぜ、WISCなどの検査結果に非常に重きを置く、
一部の人たちの意見やかかわりにそぐわないものを感じ、
彼らの子育てとその途中経過?に反発と、当然の帰結と思う理由もわかりました。
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