因果というもの
いろいろありましたが、心にたまってきた怖さのようなものがあって、
文字にすることができませんでした。
息子の首を絞めたり、ほかの子に怪我をさせたお子さんのお父さん。
いろいろな方面でごり押し、自分の意見を通すにはときに脅しまがいのことを
されてたようだと聞いていた方
去年、そのお子さんが6年の秋、急逝されましたって話を書きました。
去年のちょうど今ころ、正確には11月1日。
「学習発表会ならうちの学校は2週間前に終わったよ。残念だったね~。」
と教えてくれた方。
それは嘘の情報で、その学校は2週間後に学習発表会がありました。
マロンの行く先を探して、学校を見学することのできる機会を聞いた時のことでした。
本当の情報はすぐに手に入ったし、結局その学校にマロンは通うことになり、
先生方や通常級のほかのお子さんたちにも恵まれてすごしています。
ですから、<どんなに邪魔しようと通る運命というものはあるものだ>
くらいにしか思っていませんでした。
息子が今の学校に編入したことで、特別支援学級の6年生は2人。
これまでは、生活発表会や運動会など、主立った行事は
嘘の情報を流したお母さんのお子さんでした。
マロンが来たことが、本当に腹立たしかったのでしょう。
いろいろありましたし、あまり話もしなくなりました。
その方のご主人は脳梗塞で半身麻痺ということを聞きました。
お子さんはもうすぐ中学というのに、ほんとに気の毒だなと思います。
似たようなことがほかにもあって、あれ・・・と思ってしまいます。
よくない思いをもってはいけないのだとそうした出来事を通じて
だれかが教えてくれているような気さえします。
よくない気持ちを抱いてはいけないと
子供の頃から思ってきました。
けれど自分の中に怒りだったり理不尽さを感じて
不満に思ったりする事は多々あったりして
でも、それを表に出す事は、いけない事だと思ってきました。
たぶん、正しくは自分がそれを感じる自体いけないと
思っていました。
何となく、2つある気がすることがあります。
自分に返ってくることって
他者に対して恨んだり、悪意を持って邪魔したりする事から自分に跳ね返ってきたり、そういうものと
自分の内に毒を抱えてしまって、結局その毒で自分自身がやられてしまう場合と
難しいですよね・・・
誰かを嫌だと思ったり怒りを感じなければいいのにと
何時も思うけれど
怒りとか嫌だと思う気持ちは、クリアに乗り越えていけなければ毒になって自分の内に充満してしまったりするから
あぁ、書いていて、怒りと恨みは違うのかと
ふと思いました(滝汗)
同じなのかな、違うのかな(滝汗)
嫌な感情を抱えなくて済んで
人の幸せを喜べる時が人は、幸せな気がします。
色々な人が居る中で、様々な相手に、
自分がどう受け止めて自分の中のものを
どうやって処理したり消化&昇華させていくか
精神的な成長しかないのかなぁと思うけれど
たぶん、それは苦しみぬいた末にしかたどり着けない場所なのかなぁ?と思う事もあります。
相手へのマイナスの感情は確かに相手にも行くけれど
自分にも確実に来る。
<人を呪わば・・・>ってやつですね。
相手に呪われたとき、波長を合わせずにいればよいと
ものの本では言いますね。
そうすれば相手に帰っていくと。
ただ、そういう想いの存在を知らなくてもくる時はくるんですよ。
実際に体験しているし、
その状態もエネルギーを感知する人にはわかると
ここ数年で体験しました。
アンビリーバボーな話ですが。
ほんとにあるんだな・・・って。
自分と相手の幸せのために
余計なマイナスのものをまず<自分が>生み出さないというのが
本当に大事なんだなぁと思っています。
難しいですけどね。
マイナスの感情がわかなくなるまでには、
誰だってのた打ち回ると思うけど
あまりにいろいろなものを一度に見るのは勘弁してほしいですね。
と、なるべく抑えて書いていますが
ここ数年、ええっ!!という奇遇なことがあまりに多くて
そのまま書いたらマロン日記もここもスピ系日記になりそうで、
思うようには書けないんですね。
やっぱり、相当変じゃないですか。
ジャンルだって全然違うし。
怒りとうらみ・・・
怒りは基本的に自分内部で燃えるもの。
うらみは相手へのうらやましい思いが転じ、相手に向かうもの。
正しい怒り、義なる怒りはあると思うけど、
正しい恨みはないと思っています。
私流の解釈です。